205系と「わたし」
この写真展を開くにあたり、一人一人のメンバーが、ずっと向き合ってきた武蔵野線205系。
沿線民として幼い頃からずっと205系を利用し続けたメンバーも居れば、通学で205系を利用するようになり、やがてこの電車に思い入れを持ったメンバーも。一人一人、この電車に対するかけがえのない「エピソード」を持っています。
だからこそ初めに、参加メンバーそれぞれのこの電車との想い出を、この写真展の序章として。ご覧になられる皆様もきっと、在りし日の武蔵野線205系の想い出が蘇るはずです。
第一話:「夕刻、私の日常。」
幼い頃から武蔵野線沿線で育った私の一番身近な存在だったこの電車。通学で毎日ずっと乗り続けた通勤電車。
昔から変わらない、西日が差し込む車内。一日の終わりに、弾む座席に腰を掛け過ごすこの時間が、私と205系の一番の想い出でした。
第二話:「記憶と共に」
小田急沿線で育ち、最も身近なJR線として幼い頃から馴染みがあった南武線。そして学生になり学校が武蔵野線沿線になった私の生活の傍にはいつも205系の姿がありました。洗練されつつも何処か愛嬌のあるデザイン、柔らかく安心感のある座席。205系と過ごした日々は私の一生の思い出です。
第三話:「おもいでの行路、私の青春」
平日も休日も、雨の日も風の日も。部活の大会の日も、オフの遊びの日も。嬉しかったときも、悲しかったときも。友人と語らったり、一人で過ごしたり。行きは通勤電車らしく、ぎゅうぎゅうに詰め込まれ。帰りは柔らかな座席に身を任せ、角席の出っ張りにもたれかかり。西船橋から海浜幕張まで、わずか4駅、15分。武蔵野線205系に揺られながら過ごす、青春のひとときの積み重ねが、武蔵野線205系そのものに対する愛着を深めていきました。
第五話:「ちょっと低いホームから」
私が物心ついた時からずっと利用している、新松戸駅の武蔵野線ホーム4番線。そんな4番線は対向のホームよりちょっと低く、向かいのホームの電車が他よりも大きく見えて迫力があります。この4番線から見る205系は、とりわけかっこよく、また頼もしく思えました。4番線から205系に揺られて、幾度となく学校や習い事へ行くのが私の日常でした。時には風や雪等で遅れる事もあったけど、205系は私の日常を支えてくれる頼もしい存在でした。
第六話:「全ての出会いに感謝。」
205系を通して生まれた沢山の出会い。それは私にとって一生の宝物です。それぞれ違った考え方や撮り方。視野を広げ自分に足りない色々なことを学ばせてもらいました。こうして写真展が開催できたこと、そして何よりこのメンバー達と出会えたこと。205系に心からありがとう。そう感謝を伝えたいです。遠く海の向こうでもたくさんの出会いやドラマを乗せて走り続けて欲しいです。
第七話:「その1 始まりの訪れ」
そう、始まりのあの頃は保育園児だった。
休日に祖母と一緒に山手線を一周するのが日課だった。車両との物語はそこから始まった。ドア窓が小さく幼い自分にとっては見づらく唯一の救いが205系特有のフカフカな座席から見る車窓だった。上野の街、ビルが立ち並ぶ東京のオフィス、そして時代はガラケーで隣に座ってる知らない人同士での会話「よく優しいご老人に話しかけられたのも懐かしい」、そんな山手線205系車内から見る2000年代初めの車窓は何もかもがワクワクだった。そしてこの先自分がこの車両に魅了するなんてまだ幼い自分には思いもしなかっただろう。
第八話:「その2 再会」
時は経ち中学生になった自分は久しぶりに武蔵野線を利用した。
昔武蔵野線で1回だけ乗った見覚えのあるメルヘン顔の電車じゃなく来たのは昔よく乗った方の見覚えのある顔だった。「あれ?どこかで見た事ある電車だ」と思い興味本位でスマホで調べた。「あ!小さい頃に乗った山手線じゃん!」ラインカラ一は違えど新しさを忘れさせない顔はよく覚えていた。
それから縁があり武蔵野線を利用する機会が増えた。私の思い出の青春と車両との物語が始まったのだった。
つづく
第九話:「特徴的な顔」
武蔵野線では少数派なメルヘン顔の205系。通勤・通学時にこの車両が来るとラッキーと思ったり。
検査でモハが爆音の外扇が静かな内扇になったり、その逆パターンもあったりして音の違いも楽しめるのも魅力の一つ。
MT61を響かせ、変化のある景色の中を走る姿がとても好きでした。
第十話:「南浦和駅と205系」
通学していた頃からずっと利用してきている南浦和駅。
ちょうど南浦和駅を利用する時間は帰宅ラッシュの時間帯と被りホーム・乗換階段は混雑します。その中ホーム上の人が捌けるのを待ちつつ発車していく205系を見送るのが私の日常でした。
たくさん居た客を乗せて誰も居なくなったホームを去っていく205系は通勤電車らしくとても格好よく見えました。
第十一話:「通勤の楽しみ」
ある日、転職が決まり3年間だけ武蔵野線ユーザーになった。
中央・総武線で使われていたE231系の転入真っ只中だったこともあり、職場へ出勤する時は「今日は何系が来るかな?」と唯一の楽しみだった。去年の春、異動が決まってから全くと言っていい程武蔵野線に乗らなくなり、205系も遠い南国の地へ去ってしまった。コロナ禍が終息したらいつもの電車に会いに行こう。
第十二話:「新天地での生活に205あり」
「お前、来月から東京勤務ね。住まい決めといて」
上司からの電話。その一言で新潟を追われた2018年の秋。
電話を切って5秒後に思ったのが「武蔵野線沿線に住もう!」ということ。境遇は皆さまと違えど、常に新鮮だった武蔵野線の光景を日常にしよう。その気持ちで追いかけ続けた2年間は本当に幸せでした。